その後数年経って東京に桜が咲くころ、同じメンバー四人で、ふたたびスキーを肩に白山に出かけました。このときには山麓の事情がだいぶ変わっていて、村役場の横を通り過ぎようとしたら、なかから役人が飛び出してきて、「ちょっと、なかへ来なさい」といわました。澄んだ幸ってくれました。山は一面に雪に被われ、「山開きにはあと三ヵ月もある。まだ入山は禁止です」と言い渡されました。しかもスキーでは危険で無理だと説得に懸命なのです。私どもは昭和26年4月に登頂し、スキーで滑降したことがあるので大丈夫です。同じメンバーですから」といっても、だめの一点張り。これほど説明してもだめなら、郷に入りては郷に従って止めるよりほかないと涙を呑みた。澄んだ青い空には白銀の山が鎮座しており、すごすご遥か東京へ戻る一行を見送りの田圃には、ところどころに戸板が立てかけてあり、熊の皮が張りつけてありました。日に乾しているのです。昼食を食べさせるところを役所で教えてもらって出かけると、広い沢を越えて少し山へ入ったところに小さな旅館がありました。張りきってわが家を出てきてまる一日。